中国・東晋の書家。名門貴族の出で、青壮年期には政治家としても知られる。当時隷書体が主流であったが、楷書(小楷)・行書・草書の三書体を芸術的に完成させ、新しい書体が人々に広がるきっかけとなり、古今第一の書家として名高い。その書は唐の太宗に酷愛され、以来「書聖」と仰がれ、日本の書にも多大な影響を与えた。
永和9年、王羲之は会稽山の麓の蘭亭に、当時の名士41人を招いて禊の行事を行った。蘭亭序は、その後の雅会、曲水の宴で成った詩集の序文として、王羲之が興に乗じて書いたもので、書道史上屈指の劇跡である。
王羲之は、蘭亭序の清書を何度も試みたが、この草稿に勝るものはできなかった。上から書き直したり、黒く塗りつぶしたりしているのは、そのためである。
序稿の真跡は、王羲之の書を崇尚した唐の太宗が苦心の末に入手したが、太宗の死後に随葬された。また、初唐の三大家らに臨書させたり、職人に精巧な摸本を作らせた。張金界奴本(虞世南)・定武本(欧陽詢)褚模本(褚遂良)と作者によって呼び名が異なる。
中でも、神龍半印本(馮承素)は、原石を最も忠実に反映した模本とされ、全編の起伏など、運筆の流れに従ってあらゆる文字の姿を生み出す王義之の行書の真価を知ることができるとされる名品である。
『集字聖教序』ともいう。唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述したもので、これに高宗の序記、玄奘の訳した般若心経を加え、弘福寺の沙門懐仁が、高宗の咸亨3年(672年)12月勅命を奉じ、宮中に多く秘蔵していた王羲之の遺墨の中から必要な文字を集めて碑に刻したものである。字数は約1800字で、原碑は現存する。
王羲之が歿してのち、300年後の仕事であるので困難も多く、偏と旁を合わせたり、点画を解体して組み立てた文字もあり、完成するのに25年を要したといわれる。