鄭文公碑(ていぶんこうひ)は、中国の南北朝時代の北魏の書家の鄭道昭によって彫られた2つの顕彰文。「六朝楷書」の書蹟として著名である。
鄭道昭の父・鄭羲が光州刺史であったことがあったことを踏まえ、顕彰しようと、天柱山(中国・山東省青島市)の磨崖に顕彰文を刻んだ。これが「鄭羲上碑」である。しかし光州に帰る途中で立ち寄った雲峯山(中国・山東省煙台市)でさらによい磨崖を発見し、ここにも同文を刻んだ。これが「鄭羲下碑」であり、後に2つ1組として扱われる「鄭文公碑」が出来たのである。
上碑の石は下碑に比べると質が悪く、現在では摩滅の為、ほとんど字が読めなくなってしまっており、今もくっきりと全文が読める下碑と大きな差がある。
また、立ち方も覆いかかるようで直立ではなく、彫る際には斜めにのけぞるような体勢で彫ったと思われる。以上のことから、きちんと立った状態の下碑に比べ条件が劣る。
※磨崖碑とは研磨などを施していない自然石や岩肌に直接文字を刻した碑のことである。
鄭道昭(てい どうしょう)は、中国・南北朝時代の北魏の官吏・書家。
六朝楷書の代表的書家。無署名が普通であり、署名されていても無名の人物ばかりの南北朝時代の書家の中で、確実に名と伝が残されている数少ない書家である。
鄭道昭は領内を視察し、その土地土地の山に自ら登っては山名を「天柱山」や「雲峯山」のように神秘的な名前に名づけ直し、神仙思想色の強い碑文を大量に刻んだ。
鄭道昭の「円筆」に極めて近い書風は、北朝で独自発達した「方筆」の書風の中では独特で、貴重な存在であるとともに、北朝書道における南朝の影響や、南北間の文化交流がうかがえるものである。