撮影:菊池苔鳳
孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ)は、唐の太宗が、文教振興のため、長安(現在の西安)に孔子廟を再建した時、勅令により、当時70歳の虞世南に文を撰し書かせたものである。
碑は、建てられて間もなく、火災に遭って失われ、長安3年(703年)に重刻(模刻)したともいわれるが、これも今は現存しない。現存するものに、唐時代の拓本を主とする拓本と、別の唐時代の拓本から覆刻された2基の碑(陝西本と城武本)がある。
○陝西本…宋初に、原本から王彦超が覆刻したもの。西安碑林に現存する。
○城武本…元の至正に、山東省で黄河が決壊したときに出土した碑で、陝西本とは行数や空欄が異なる。
両本を比較すると、城武本の方が原本の趣を伝えていると評される。
なお、唯一、原石からの拓と伝えられるものは、日本にある原石からの拓と伝えられるものは、三井文庫に収蔵されているものだけである。
書風は、合理的な構築、単純化された用筆法、やや蔵鋒気味で繰り出される円やかな線による構成で、物静かな気韻を内包し、古来より「温雅な楷書」と讃えられ、唐朝第一と評される。
【孔子廟堂碑の文字の特徴】
①縦長で、頭部小さめ、脚部は大きめ。
②全体的に右上がりで伸びやかな造形。
③メインの横画を強調し、その他の横画は控えめ。。
④向かい合う縦画は、外側にふくらむように形づくられ(向勢)ています。
虞世南(ぐせいなん)は、隋・唐の二王朝に仕え、歐陽詢と共に、唐の太宗に重んじられた。性格は静かだが、大変な努力家で、書だけではなく、文章にも優れていた。書は智永に学び、その書を正しく伝承し、「君子の書」と称され、太宗の第一顧問となり、最高権威であった。
●ウィキペディア(虞世南)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9E%E4%B8%96%E5%8D%97
●文化遺産オンライン(孔子廟堂碑)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/483262
●全日本美術(孔子廟堂碑)
http://www.all-japan-arts.com/meisyojyunrei/1504meisyo.html