龍門石窟(りゅうもんせっくつ)は、中国・河南省洛陽市の南方13km、伊河の両岸にある石窟寺院で、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
特徴は、その硬さ、すなわち雲岡石窟の粗い砂岩質と比較して、緻密な橄欖岩質であることである。
龍門石窟は、北魏のあとも唐の高宗や則天武后の時代にも開削されて大規模になったが、書として注目されるのは、北魏時代のものがほとんどである。
そのうち最も優れたものを「龍門二十品」と称する。なお、比丘尼慈香造像記以外の19件は、最も早く開削された古陽洞の中の壁面にある。
いずれも刀意の鋭い骨法強固のスケールの大きな文字であり、同年代の肉筆文字と比べると、石を刻ることでこそ表出した線質であることが明らかで、異彩を放っている。
牛橛像造記(ぎゅうけつぞうぞうき)は、別名「長楽王丘穆陵亮夫人尉遅為牛橛造像記」といい、龍門二十品の1つである。北魏の洛陽遷都(493年)後すぐの刻石で、最古の造像記。中国・河南省洛陽龍門山の古陽洞北壁上層部にある。作者は不明。
造像記とは、造像銘・造像題記のことで、仏像を作る際に、制作者・由来・願意・年号などを記したもののことである。
この牛橛造像記の内容は、丘穆陵亮という人物の夫人「尉遅」が、亡くなった息子「牛橛」の冥福を祈るために、弥勒像をつくり願文を刻したものである。
書格が高く、情趣に富み、角張った切れ味の鋭い方筆が、ノミの斬れ味と相まって、より力強さに溢れている。造形はよく整い、洗練された風を呈し、龍門様式を代表する作品である。
下書きがあったのか不明であるが、書かれた文字と刻された文字の間に大きな差があっただろうとも推測される。