■昭和7年4月1日
福島県いわき市生まれ
菊池海雲(当時:苔雲)が福島県いわき市平を15歳で出奔し北上。岩手県大船渡市に辿り着き、布団店を営む傍ら、独学で書を学ぶ。
雅号は苔雲であったが、後の文化勲章受章者である金子鷗亭氏により海雲を允許。
■昭和21年
「苔雲書道院」開設・古典研究に入る
以後
・日本書作家協会新興書道
・大東書道
・三陸書人社
・新日本書道院五臻会
各々の発足・創刊に携わる
■昭和38年
毎日書道展出品活動開始
■平成2年
毎日書道展漢字部審査会員
■平成10年
書業50年記念展(個展)開催
【主な略歴】
・毎日書道展漢字部審査会員
・日本教育書道連盟参与
・日本書道美術館展審査員
・日本刻字協会理事
・日本刻字展審査会員
・書道芸術院篆刻部審査会員
・一瀾書道会董事
・他
書道研究墨州院創始者 菊池海雲が生前、地元新聞のコラム欄へ書いた原稿が見つかったため、広く公開することとします。
※文面から海雲60歳頃と思われます。
どこで道を踏み違ったか、気がついたところで戻るわけにはいかない。行き着くところのない書の道を、われ進むのほかなしである。
実は尋常小学校を通して「乙」。国民学校と変わっては「可」。この評価は私の「書き方」、いまでいう「書写=書道」に付された通信簿の中身だ。現在の評価でいえば1か2であろう。
それなのに一番苦手だった書の道を追い求め、そして指導にも携わり、書作をするというのがなりわいとなってしまった。
さて、当大船渡は、人口の割に、この書道人口が全国的にみても多い。書塾を営み、全国一流書壇においても活躍しているプロクラスが多いのも大船渡の特徴だ。これら書人の約7、8割は地元気仙の大船渡で創設された、書道研究墨州院本部の門下であり、何らかのかかわりのある人たちなのは心強いものがある。
この稿、書道が苦手だったということから始めたわけでありその通りだから、それだけに自分自身の可能性を引き出すべく苦労があったと言いたい。自分自身の可能性を生み出す苦しみを味わい、経験を今に生かそうとしている。従って、こと書道に関する限りその指導法には誇れるものありと自負したい。
とにもかくにも、自分のできることは、書の普及に努めること。口はばったいようだが、地域の書道芸術文化発展に資することである。
書の道に紛れ込んで、そのまま進むことしかできない自分だからだ。戻るとすれば60年かかる。進めばせいぜい20年くらいだろう。
「人生80年」なればなり、である。