千字文は4字1句、250句からなる四言古詩。梁時代の周興嗣の作が一般的である。梁の武帝が王子たちの手本用に王義之の書の中から1000文字を集めて摸本を作らせ、当代随一の文章家であった周に命じ整然とした韻文にまとめ上げたというものである。この千字文は美文にして、重複する文字がないため、中国はもとより日本でも古くから珍重されてきた。正倉院文書や平城宮移籍出土の木簡中にも千字文の習字と思われる遺例があることから普及の早さを物語っている。
中国・浙江会稽の出身で、書聖王義之の七世の孫に当たることから、当時から書名が高かった。
永欣寺閣上に30年間も閉じこもり、真草千字文800本を臨書し、江東の諸寺に施与したという。 その間、使い古した筆が1石余を入れる竹籠5個に満ちたので、それを埋めて筆塚を営んだという伝説もある。
また、当時第一の能書家として知られ、書を乞う者が先を争い門を壊すので、鉄板で門を覆った程だという。その智永に教えを乞うた者の中には、虞世南もいる。